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「予想通りに不合理」読了

この本の概要をまとめると?

我々がいかに「予想どうりに不合理」であるかを様々な実験の事例から紹介される本。行動経済学の入門編。結構普段感じていることが実験から人間ってそういうもんだよって言われている感じで落ち着く。経済学は我々が合理的であると考え、決断に必要な情報を知っており、様々な選択の価値を計算でき、それぞれの選択の結果を何にも邪魔されず評価できると想定している。しかし実際には我々は従来の経済理論が仮定するほど合理的でないところか、はるかに不合理である。経済学は人がどのように行動すべきかではなく、実際にどのように行動するかに基づいたほうがいいのではという、心理学を付加したようなものが行動経済学

この本から得た学びは?その学びをどう活かせそうか?

普段うっすらと感じている様々な不合理さが逆にそういうものなのだと述べられているようで面白かった。

相対性の真相

25ドルの万年筆が、15分先の文房具屋では18ドルで売られているとき、ほとんどの人は別の店まで行く。しかし、455ドルのスーツが15分先で448ドルで売っていてもほとんどの人は行かないと答える。同じ7ドルの割引なのになぜか。これは、万年筆は定価に対しての相対的な値引き感が大きいがスーツはそうでないからである。
ここからの学びとしては、高額な買い物自体を考える癖をつけないと、近場な安売りに飛びつくものの、何も節約できていないということが起こる。

アンカリング

我々は、何かを買おうとした時にアンカーとなる価格を設定するが、デタラメな質問の答えであってもそれに影響されてしまう。さらに、その価格が決定されてしまうと、関連のある品物にいくら出すかまで決定してしまう。また値札の価格はその値段で買おうとした時に初めてアンカーとなる。例えば30万のテレビをこの値段で買おうとしたとたん、別のテレビを買うにしろ会社でテレビの話をするにしろその30万がアンカーとなって比較されることになる。またそのアンカーは後を引くことが実験とともに紹介されている。個人的にSNS出てきてから自分の中にアンカー急速に出てきたなぁという感じがある。
しかし、アンカーは上書き、というか新規作成される時がある。例えば、スターバックスは同じ珈琲店のダンキンドーナツよりも高額であり、ダンキンドーナツに馴染みとなっている人がスターバックスに行くと低額なアンカーが働くはずだが、スターバックスダンキンドーナツとかけ離れた体験を提供することによって、スタバの新しいアンカーをスッと受け入れられるようにしたとか。家で100円のビール飲んでるのにクラブだと600円のビールをサクッと頼むのはそういうことかもしれない。このように、需要と供給のような経済理論だけでは説明できない現象が実際の価格に反映されている。

無料!の力

人間は何かが無料だと、最善の利益をもたらす決定とは別の決定を下すことがある。ただで10ドルのamazonギフト券を得るか、7ドルで20ドルのamazonギフト券を手に入れるかというと前者を選ぶことが多そう。後者の方が13ドルの儲けになるけど無料が相手だと話が異なる。人間痛みを除く方を重視するし、この本には書いてなかったけどアンカーをガン無視できるのも強そうだなって気がした。

なぜ楽しみでやっていたことが報酬をもらった途端楽しくなくなるのか

我々は社会規範が優勢な世界と、市場規範が優勢な世界に同時に生きている。自分、この章とても面白く読んだ。というのも、学生の時は無料でもいろんなデザイン楽しくやってたけど、社会人になって給料もらうようになってから色々しんどくなってきたので。多分自分の中に市場規範が台頭したんだなと学び。

無料で何かの作業を行なってもらったときと50セントで行ってもらった時の結果測るという実験が紹介されていた。実験ではちょっとの報酬を渡すよりは無料の方が人が良い成績が出たらしい。無料の方が利己心が抑えられ、他者の幸福を意識し始めるとのこと。少しでも金銭的な話が出てしまうと市場規範が台頭してしまい、「50セントしかもらえないのか」と気乗りしない状態で作業を行うようで、「この実験に協力できた上に50セントもらえる」と思う人はそういないようだ。
リエーター相手に好きなことなら安くていいでしょっていう人いるけど、頭の中に市場規範ができてしまうのでよく揉めた感じになっているのかなと思う。適正な給料というのはもちろん必要だが、もし無料で依頼されたらやるのかな。普段お金もらって仕事してるから市場規範が勝つかな。面白かったけどチップ社会とかもありそうだしそのまま信じていいのかなという気持ちでいる。とにかくその2つを意識して混合しないようにするのが良さげだと学んだ。また、今の自分も市場規範ベースで考えてるからそもそも社会規範をもっと持ち込むように考え直してもいいのかもしれない。ただ、それには勇気が足りていない。

興奮してると正しい判断ができない

冷静なときに興奮している状態を想像して、嫌いな人間とセックス楽しめますかというような性的嗜好や不道徳な行為についてを質問されたときと、マスターベーションしながら同じ質問されると結果が大きく異なる傾向がある。要するに人は自分が興奮してるときどうなってしまうのか理解できていない。恐ろしい。性的なこと以外でも激しい感情に襲われた時自分が誤った判断をしがちという自覚が大事。これ、スプラトゥーンで連敗したとき絶対休憩した方がいいやつだろうな。
逆に物売る時はそれを利用して相手の感情が高ぶっている間にいかにポチッとさせるかだなとか思った。ネットもそうだしジャパネットなんて完全にそれですよね(最近は電話が遠い気もするが)。

先延ばし問題と自制心

実は先に述べた感情が高ぶると世界が違って見えるのと根っこは同じだったりする。年末年始に何かするぞと決意したところで目の前に新しいゲームが発売されてしまうとそっちを遊んでしまう。実験でも人間はそういうものだとされてしまっているので人類共通らしい。実験では外からの強制締め切り命令が最も効果があったが、それがふさわしくない、好ましくない場面は存在する。そういう時は人々に望ましい行動の道筋をあらかじめ決意表明する機会を与えるのが良いらしい。世の中上手いことやってるように見える人はこれが習慣となって締め切りを守る癖をつけているかいるか、そのようなツールをうまく用いているはず。例えば貯金したければ給料天引きの自動積立を使うとか。コミケの申し込み料がなければ新刊落とすサークルはもっと増えそう(その申し込み料で躊躇している自分は言える立場ではない)。

また「強化スケジュール」という用語がある。これは行動と行動に対する報酬との関係であり、定率強化スケジュールと変率強化スケジュールという区別がある。定率強化スケジュールは決まった回数ある行動を行うと報酬がもらえるというもの。(例えば、中古車販売員が10台売るとボーナス10万円もらえる)。変率強化スケジュールは適当な回数ある行動を行うと報酬がもらえる。(中古車販売では、10台でボーナスが出ることもあれば、200回かもしれない)。
よって、変率強化スケジュールでは報酬がいつもらえるかわからないため、定率強化スケジュールの方がやる気が起きてやりがいが起こるように見えるかもしれないが、ラットの実験では変率強化スケジュールの方がやる気が起こるらしい。定率強化スケジュールでは、報酬がなくなった途端働くのをやめたが、定率強化スケジュールではその後も長い間働き続けた。ギャンブルでも9回負けた後もう一回勝つとわかっていると何の楽しみもない。いつ報酬がもらえるかわからないからやり続けるし、ガチャはその回数すら承認欲求にすり替えられている(十何万でお迎えしました!みたいな)のですごい文化が誕生しちゃったなという気持ちがある。
ギャンブルやらないでしょって人はスマホの通知を何回も見てしまうことを思い出すといいかもしれない。基本的に通知は無駄なことが多いが、何回目か分からないがまれに素敵な連絡が来るから何度も見てしまう…というのには心当たりがあるのでは。

こういう先送り問題を克服するには、長期目標のために取るべきあまり喜ばしくない行動に対して、目先の強力なプラスの強化を与える奥の手を探すのが有効そう。作業配信とか最たるものだなとか思う。見てもらえないと悲しいけど。好きなものと、やらなきゃいけない自分にとって良いものをうまく組み合わせることができれば自制の問題を何とかできるはず。

自分の持ち物は過大評価する

自分の所有物を過大評価する傾向は、人の基本的な偏向であり自分自身に関係するものすべてに惚れ込み、過度に楽観的になってしまうという全般的な性向を反映している。心理学では「ポジティブバイアス」「レイク・ウォービゴン効果」と言われている。会議において自分の考えの方が相手より正しいと思うことや、自分の作ったものの方が優れているのに、と思うこともこれだったりするかもしれない。そういう先入観があると自覚するのが大事。

扉の話

人間には、消えかけているチャンスや自分にとってほとんど興味のないチャンスを追いかけたいという衝動がある。心当たりありすぎる。逆にこのせいで本当に大事なものに目を向けられないということもある。心当たりありすぎる。うまく扉を閉じる方法…は特に書いていなかった。「決断しないことによる影響」を考慮に入れましょう。あと表現を良くしたいとか思ったときに、じゃあイラスト上手くなろう、プログラムでジェネ系作ろう、CGやろうと細分化していく状況を上手く整理したいというかなんというか。

予測の力

ビールの試飲の実験を行い、あらかじめ味がまずいかもしれないと教えると、人々はそれに賛同する可能性が高くなる。しかもそれは経験によってそう実感するからではなく、まずいと予測するから。この逆もあり、コーヒーの雰囲気が高級そうだと味も高級に感じる。駅で有名なバイオリニストが演奏してもほとんどの人が素通りするのも同じ話。料理学校で盛り付け方が調理方法と同じくらい重要視されているように、見せ方の効果を侮ってはいけない。予測は経験と密接に関係している。
また、予測は見た目や雰囲気だけでなく、ステレオタイプやレッテルのようなものにも大きく影響される。ニューヨーク大学の学生は実験で老齢とプライミングされると退室するときに歩行速度が遅くなったらしい。普段から私はゴミだと自分でレッテルを貼ってるとそういう予測をしてしまって良くなるんだろうなって感じかもしれない。自分の意識は良くも悪くも偏ってるかもしれないし、ネガティブは常勝する話もあるけどそれ以上のことが得られなくて面白くないのでいい感じに予測活用したいですね。

予測といえばプラシーボの話がある。この本でもいくつか紹介されておりプラシーボは存在するし、10セントの頭痛薬より2ドル50セントの頭痛薬の方が効き目があった。全ての人が同様の反応ではなく、直近で頭痛を体験し鎮痛剤を使った人の方がプラシーボが強調されているらしい。価格は経験を変化させることがある。医療等でもプラシーボで実際の治療はどうなんだという話があるが結構倫理的な話があって実験しづらいらしい。

不信の輪

ケーブルテレビメチャ安いですよーとかいうのを信用できないことがある。実験結果からそういうものである。オーディオメーカーがこのスピーカーは音が良いというより、第三者的なメディアが良いといった方が印象は良くなった。要するに疑心を持っている。
公共財ゲームという思考実験がある。皆が協力し合えば信用が高まり社会的な価値は最大化するが、詐欺やらで協力しない人が出現するとそれを見て同じような行動を行い、信用が低下して最初の利己的な人も含めて誰もが損をする。
信用を公共財のように捉えると、信用が高ければ全ての人が利益を得られる。ただ、短期的には裏切ることで利益を生むことも事実。信用を失わないようにしたい…。

不正直

人々はチャンスがあればごまかしをするが、目一杯ごまかすわけではない。また、一旦正直さについて考えるとごまかしをやめる。倫理思想の水準から外れてしまうと不正直に迷い込むが、誘惑に駆られている瞬間に道徳心を呼び起こされると正直になる可能性が高くなる。また、時折規則遵守を表明するのは不十分で、宣誓や規則を思い出すのは誘惑の瞬間か直前でなければ意味がない。先送り問題と何か似てるような。

また、先の実験は現金で行われていたが、引換券のような代用紙幣になった途端人間が不正直になるという結果がある。また多くの人間は代用紙幣でもそんなズルはしないと思い込んでおり、自覚していないらしい。仮想通貨やらが今後どんどん台頭してきそうだけど大丈夫か?と著者は書いているし自分も思った。現金無くなって欲しいなと思ってるけど現金には倫理を思い起こさせるパワーがあるのかもしれない。

何に一番驚いたか?

ぼんやりと色々なものに影響を受けているなと思ったが、ここまで学問として確立されていることを初めて知ったので驚いた。目の錯覚が防げないように、「決断の錯覚」は存在するという言葉良かった。

この本から得た深めるべき問いは何か?

経済学について知らないので、そっちを学ぶとより行動経済学を浮き彫りにできそうだと思った。そうするとこの分野は経済理論を重視しており、こっちの分野は行動経済学を基盤にしているというのが見えてきそう。何となくソシャゲの課金システムは行動経済学全振りなのかなとか思ったけどどうなんだろう。

また、SNSやテレビが様々なプライミングに影響を与えてそうだなと思った。特に市場規範と予測に関して。うっすらと会社で人間観察する際に見てみたい。この分野面白いなと思うのでもう少し色々な本読んで勉強したい。